interview

野菜を買って食べるのと同じように摘み草を取り入れるきっかけに

20160625048interview01

長野市篠ノ井の茶臼山の麓、街と山の境目あたりに、寺澤さん家族が暮らす家と会社である長野電波研究所があります。その隣には、実践としての雑草が生い茂る庭や畑がありました。

地中海料理だと、ぶどうの葉を使った料理はすごく一般的なおふくろの味なんだけど、日本にはあまりありません。
ロールキャベツありますよね。これはもともとキャベツではなく葡萄の葉を使っていました。
諸説ありますが、葡萄の葉を使った「ちまき」が最初で、北欧などでは葡萄がなかったので、キャベツで代用されたそうです。
料理屋さんとかにはたまにありますが、ぶどうの葉は酸味があって、また煮崩れないから肉汁を逃がしません。そのまま全部食べられるから、肉のおいしさが増すんです。これは実際に食べてもらいたいですね。
講師(原さん)には、天ぷらや和え物などをお願いしています。
摘み草料理ってほとんど天ぷらになっちゃって、それはやっぱり想像できる形ですから、びっくりすることはないんじゃないかな。ラズベリーのパンケーキはびっくりされるかもしれませんね。

実際の授業では、どんな話になりますか。日頃、目にしている雑草が実は普通に食べられるという話になるのでしょうか。

まず、草がどうなのか、野菜とは何なのか?というところがあるんですよね。一般に言われている「野菜」は育てやすいから選ばれてきたんだけど、実は「野草」と「野菜」の間には境目がないんです。けど、スーパーに並んでいるのが食べ物だという解釈になっています。
調べてみれば、日本人だって昔からこういうものに向き合って暮らしてきているし、昔からそういうものをとりこんだ歴史がある。そういったものを形で見せたほうがいいというところで、(寺澤さんが所属する長野電波研究所が数多く所蔵する)古文書がでてくるんです。古文書があると、僕が何か言うよりも説得力があがるんだよね(笑)
天命4年閏月正月…浅間山の噴火があった次の年の古文書。浅間山が噴火して次の年に、食料がなかったと書いてある。だからみんなこういうものを食べましょう、という記録になっています。これが摘み草のベースになっていくわけです。

売木村の方は古文書とかはやってないです。純粋に周りに野草が生えているので、まちおこしに生かすというNPOですね。そうすると、メニューづくりがやっぱりキーワードになってくるので、女性陣に受け入れられる商品ができてきています。

20160625048interview03

売木村の摘み草食堂では、女性の来店率があがっているということですか?

そうですね。おっさんが来るようなものではないですよ。おっさんは結局自分て取って食べちゃうから。自分で調達しちゃうから商品にならないんです。

一食いくらぐらい?

(売木村の)摘み草食堂は、1000円以下がベースですね。食材の調達方法によりますけどね。それを自分家でやると確かにただの食材にはまあなるんだけど。
(長野電波研究所では)先代から電気やセンサーを扱っていて、電気と農業、この組み合わせの狭間の仕事をやってきたのがうちの小さい会社のやってる仕事の一つなんです。また農業と古文書、という境目の仕事の提案として、摘み草といえるんじゃないかなと思っています。本だけなら図書館でいいけど、図書館は農業が分からない、植物は知らない、紹介はできるけど実際に触れない。そういうことがある中で実際活用しようってなった時に、みんなが分かりやすいもの、美味しいものになれば農業として育つので。例えば、タライモなんかは飯田の方では産地化しているみたいですね。胡桃は東御市とかあるけど、うちで別の活用が出てくるといいな。実験して、1つのビジネスとして形になっていけば農家さんに依頼できるんですよね。そこから量を増やしていくということもこれから取れるんだけれども、農業自体がなかなか立ち行かないし、人の真似してもしょうがないし、みんなが作っているものは高い値段取れないし。

そういえば、以前、仕事で農家さんのインタビューしたときは端境期、つまり出始めのものをいかにつくるか、と言っていました。それによって、みんながつくっている農作物だと100円だけど、出始めだと350円みたいな。1個の単価が高くなる。

そこで利益を確保するのが今の農業のスタイルなんですけどね。だから珍しいとか、甘いとか、品種にも寄りますけど、あの追求が一体どうなのかという。高級品も確かに結構なことなんだけど、僕が体系的に見ているのは、そういうものを買える人たちは3%くらい。高いから買わないでしょ。1個や2個は買えるかもしれないけど、それを普段的に買えるってことはないんですよね。9割以上の人たちは実はそういう食材からは無縁、全部とは言わないけど、品質を並べたらね。そういう中ではみんなを支える食の方法をとっていかなきゃいけないし、手間がかからないとか、無農薬が望まれているとか、そういう様々な条件を踏まえていろいろ模索していくとこのような畑、庭、温室になっていくんです。
その一番身近な窓口として開いたのが、摘み草なんです。そういうのをみなさんに受け入れてもらえば、形になっていくと。その人の生活に入っていけば特にね。そういう摘み草の鉢にしろ、サボテンにしろ、災害があった場合の非常食になるだとかね。ある日食品の値段が上がるとスーパーに頼っていると生活に直結するんですよね。だけど一食自分で作っていると話が変わってくる、それだけなんだけど。今日買わなくて済むっていう食材がいっこでもあると選択肢が広がるんだけど、そういう状況がなくなってるっていうね。そういうことに対して危機感はあるけど、楽しくやらないと続かないし、美味しくないとやる気にならないし。そういうことが授業で伝わればいいなと思います。

話はとても分かるのですが、実際それを自分の中に日常的にすることって大変な作業な気がしています。自分の実感として感じられるかどうか。

それが田んぼだったり鉢植えだったりね。そもそも毎日は見れないですからね。

そうか、毎日見れないから逆にいいんですね。

毎日の水遣りを要求したら、大半が失敗しているんです。これはもうキッチンガーデンとか言葉としてあるけど、それがいいのはそういうことですよね。

20160625048interview02

なるほど、この野草たちはそれができるから、現実的に可能なんですね。

そうですね。一つの面積で時期に応じて、次々それぞれのものが生えてくる。これは農業ではない発想なんですよね。「輪作」という言い方があるんだけど、収穫量の多い植物をやると、特定の肥料がなくなっちゃうんで、畑がだんだん悪くなっていく。それが本来農業ではあるんだけども、最初から何種類もあるところはその循環が最初からあるので、戻していくっていう過程はあった方が良いんだけれども、これに連作、毎年続けられるというコンセプトはこれで生かせるし、年中何か違うものを食べる。気象が変わってきても、それに応じた植物が出てきて残るから、それを活用していくということが僕らが考えていることです。

知識と連動すればいいわけですものね。現実的ですね。

今はまだ導入のところで、ちょっと…草を食べるなんて、というね。「山菜」って言えばまだ良いけど、雑草っていった瞬間にイメージが悪くなってしまいますよね。雑草という名前はないって言ってもね。「雑」という言葉は受け入れづらいところがありますからね。

イメージだけの話ですよね。

売木村の人とかは食べられる・食べられないがあるから、一通り獲って来て選別するのはよくやっているんだって。日本庭園のとき要するに農村の長野とかの庭って言うのは、結局生えてる植物はみんな役割があるんです。今はそういうのが失われてそのまま何で生えてるのかわからない人が大半だけれども、薬だとか困ったときに食べるとか行事に使うとか、意味があるのに損なわれている。そういうものを取り戻すという文化的な側面もありますしね。
複合的に想定しつつ、受け入れられるものを中からピックアップしてだす。たくさんの古文書もニーズに合わせて一つ一つ紹介して、形にしていく。

(寺澤さんの会社として)工程は変わらないわけですね。

そうです。出た先が燃料であったり、農業であったり、温暖化であったり。いろんな形になるから。
HPを見ると何でこんなにいろんなものがあるんだろうってなりますよね。長野電波で検索する人って実はお客さんじゃないんだよ。ピンポイントで歴史のこれ、野菜のこれが調べたいという時にうちの会社がでるように構築されてるんです。

酒の銘柄買いと一緒ですね。ネットショップの場合、酒屋さんに買い物しに来ないで、銘柄を検索して来るから。

うちのサイトにもそういうのが働いていて、とりあえずまとめるところがないといけないなと思って作っていて、更新した情報は僕が見るためにもあるんですけど。全貌はみえてくるけれども、HPも結局情報を、コンテンツをあげてくしかないんだろうと。だれかやっているものはあんまり意味がないし、多少やってる人がないと市場がないんだけど。市場化していくことはもっと大変だけれどもそういうことを模索すると。
まだまだ入り口のひとが当然大半なので、それが入りやすい庭園ができればいいなと思います。

授業では、(みんなで摘み草をするのが理想だけど、それでは時間がかかりすぎるので)フィールドに行って選別するのはスタッフでやって、その様子を動画を流しながら、料理しながら、参加者が入ってきたとき見えるようにやっていれば、質問が出やすくなると思うんですよね、なんですかこれ?とか。でも見てみれば生活のまわりに無数にあるものばっかりだったりする。「自分にもできそうだな」とか「食べてみたら美味しいな」とか「特別なのかなと思っていたら実は知っている料理が元だな」とか。そういう人が半分くらいになればいいなと思います。鉢植え置いてみようかなって人が出れば成功かなって感じはしますけどね。
今は変な話、農地は二束三文だからそういう試みはいくらでもできるんだけど、畑の真ん中は農薬があるから、簡単にはできないんだけどね。
ちなみに山が白いのはニセアカシアの花。あれの天ぷらが大変おいしい。これは3日しか食べられない。咲き始めのいい時期しかそういう風にできない。戸隠の方行けば多少は長くなるけど。

寺澤さんは、家で摘み草料理ってしているんですか?

奥さんの口に合う料理を日々研究しています。
奥さんの職場は、ピンク色で花柄で苺柄とか、男の概念からしたらありえない商品体を提案していて。でも、僕にない感性、発想だから興味深い。ちょっと警戒するものではあるけど。
奥さんは京都の人なので、だしの使い方とか、厳しいんです。僕はバリエーションがいっぱいあって。焼きそばをつくるにしても、ソースとか塩焼きそばとか、そばめしとか、オムそばとか、キムチとか・・・新潟のイタリアン焼きそばって知ってます?新潟では郷土食的に焼きそばにカレーかけたりトマトソースかけたりして小さい頃に食べていたそうで。そういうことをやるんだけど、嫁さんはソースの定番しか食べないわけ。だからどこまで出していいのか、どのくらい摘み草を入れられるのか、と日々研究です。
すごくまずい料理もあるんですよ。実験的につくるので。だから嫌がられることはゼロではないですが、おしゃれであるとか、受け入れやすい形の方向はあるんです、洋風に仕立てるとか。だから今回の料理も違ったテイストで出せる。奥さんへのチャレンジが授業のアレンジを生むかもしれないですね。

聞き手/瀧内貫(まちの教室スタッフ)
サポート/岩間夏希(まちの教室スタッフ)

===

寺澤 幸文(長野電波技術研究所)
信州大学工学部博士課程単位取得退学。篠ノ井にて、長野電波技術研究所を経営、農業研究行い、農業資材販売を行う。研究の一環で収集した江戸時代の文献約5000冊を公開し、個人図書館を開き、昔の知恵の活用を実践する摘み草を提案している。古文書図書館は真田丸などの参考資料として、テレビや書籍、市立図書館への提供も行っている。